本ページには広告・プロモーションが含まれています。
空腹のときに食事を摂りたいと思うのは「やりたいこと」のひとつです。 最新のスマートフォンが欲しいと思ってお金を貯めることも「やりたいこと」でしょう。
日常の「やりたいこと」とは別に自己満足を高める「やりたいこと」を探しているのでしょうか? これからの人生で熱中できる「やりたいこと」「成し遂げたいこと」を探しているのでしょうか?
やりたいことが見つからない理由は、やりたいと思える出来事に出会えていないことにあります。
年齢を重ねて体験したことが増えると過去を振り返って「あれもやっておけばよかった」と思うときがあります。 仕事や学業でこれまで体験してきたことを続けることで自分にとっての新たな価値に気付く可能性もあるので 特別好きではなくても続けてみることも大切です。
しかしながら、一生かけてもやりたいことに出会える保証はありません。 やりたいことは気持ちの問題なので昨日好きだったことが今日は嫌いになることだってあるのです。
これまでの生活を繰り返しているだけで体験はなかなか増えていきません。
体験を増やすには友達に遊びに誘われたら積極的に行ったり、家庭の用事を手伝ってみたりと日常のなかに様々な機会があります。
そうした機会を拒否するのは現状を変えたくないという気持ちが働いていると思います。 現在の環境に満足しているのかもしれません。 変化を恐れずに初めての体験を増やすと「やりたいこと」「やりたくないこと」「向き不向き」がわかってきます。
世の中には自分の知らないことのほうが多いし、解決されていない問題も山積みです。 外国に行けば文化の違いから異なる社会を見ることになります。
知らないことに触れ合う機会はいくらでもあるので、体験を増やせば増やすほど「やりたいこと」に出会うチャンスも巡ってきます。
言葉をいくらうまく使ってもそのものを表現することはできない。それなのに、まだ言葉を使って考える気かい?(小泉吉宏『ブッタとシッタカブッタ3』p156「言葉はものごとの一部しか表現できない」より) #butatsubu
— ブタのつぶやき (@butanomidokoro) 2019年8月29日
やりたいことを見つけたり決めようと思うと、いま自分が出来ることを考え始めてしまって思考が停止します。
今までやってきたことの中からやりたいことを探そうとしてしまいます。
やりたいことを見つけるには自分ができることに囚われずに全く新しい世界に踏み込む勇気も必要です。
やりたいことが見つからない状況を打破する為には 自分の出来ることを無視する ことです。純粋に夢を見るのです。
もちろん、今までやってきたことを再体験するのも良いでしょう。温故知新です。
子供の頃、憧れている職業などについて思いを巡らすときは自分の出来ることについてあーだこーだと考えることはなかったはずです。
経験を積んだ人間は、ある事柄を すぐに成し遂げることは不可能 だということを知っています。 一晩にして環境がガラリと変わることはそうそうありません。人生は一直線ではなく曲がりくねっています。
なぜそれほどまでやりたいことを見つけようとするのでしょうか?
「やりたいことがない」ことは正常だと思います。
あなたが何かに夢中になっていなくても誰も文句を言いません。
やりたいことがないので、無理なく衣食住を満たしながら人生を終えても誰もあなたのことを気にしません。
特別な何かを成し遂げなくても損することはありません。
「やりたいことを見つけたい」と思う理由は何でしょうか?
やりたいことを見つけてからの生き方について想像したことがありますか?
無理にやりたいことを見つけなくても、今の自分を受け入れることもひとつの選択です。
インターネットで「やりたいことが見つからない」と検索すると、出てくる情報は本記事と同様に"行動して、広く見聞する"ことを勧める内容が多いです。
宗教の観点から「何もやりたいことが見つからないあなたこそが、今一番正しく物事が見えているのかもしれない。」と解釈。
「何者にもなれない焦り」から自分を見つけようとしたり、「社会的な大成を求めている」ことでやりたいことを見つける方法を探していると指摘。
心理学の観点からは「[好き]には3段階ある」らしい。
やりたいこととは少し違うかもしれませんが、ハマり過ぎてしまうケースもあります。
最終更新日: 2019年12月20日(金) / カテゴリー: 考え方・発想法